出雲口伝から語りたい

出雲口伝をベースに古代日本の神々の系譜を掘り下げていこうと思っています。

【崇神天皇が畏れた神の正体①】

倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)

 

日本書紀』に崇神天皇の時代に疫病が流行り、百姓が流離したり反逆したりとかなり 国が危機的状況に陥ったことが書かれています。その頃、天皇の御殿の中には『天照大神』と『倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)』の二神が祀られていましたが、崇神天皇はその二神を畏れ御殿の外で祀ることにしました。

 

このことから、二神は崇神の祀る神ではなく、元々大和で祀られていた大きな力を持った古い神であることがわかります。外から来て大和を支配した崇神勢力(九州勢)は大和国安定の為に御殿の中に地元の神を入れ祀ろうとしたのでしょうか。

 

倭大国魂神崇神天皇の娘である渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に預けられたのですが、姫は髪が抜け落ち体が痩せて祀ることができなかったとあります。

 

渟名城入姫命の母は尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)で尾張氏の系統です。天照大神の方は母が紀伊国造の流れを汲む豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)にまかせていますので、崇神天皇としてはそれぞれの神が元々尾張系や紀伊系の人々が祀っていた神であると認識して、彼女たちにまかせたように書かれています。

 

豊鍬入姫命は問題なかったようですが、渟名城入姫命はそうではなかったということで、倭大国魂神尾張氏出身の渟名城入姫命に祀られたくなかったようです。

 

この後、崇神天皇の夢に大物主神が現れ大田田根子(おおたたねこ)に自分を祀らせれば平ぐと告げます。

 

その後、倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と同一人物といわれる)、穂積臣の先祖である大水口宿禰(おおみくちのすくね)、伊勢麻績君(いせのおみのきみ)の三人が同じ夢を見るのですが、「一人の貴人が大田田根子命大物主神を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば天下が平ぐ」といわれたとの記載があります。

 

日本書紀垂仁天皇記に、「一説」として倭姫命垂仁天皇皇女)は天照大神伊勢国渡遇宮(わたらいのみや)にお移しした時に倭大国魂神が、大水口宿禰にのりうつって「天照大神はすべての天原を治めよう。代々の天皇葦原中国の諸神を治め、私には自ら地主の神を治めるように」ということであったが、先皇(崇神天皇)は神祗をお祀りになったがその根源を知らず・・・」と神託したので、中臣探湯主の卜によって「渟名城稚姫命」(渟名城入姫命と同一人物とされる)に祀らせたという。天皇は渟名城稚姫命に命じ、神地を穴磯邑(あなしむら:奈良県桜井市穴師)として大市(奈良県桜井市芝付近)の長岡岬で祀らせたが、姫の体は痩せ細り祀ることが出来なかった。そこで倭直(倭氏)の遠祖の長尾市宿禰に祀らせることにしたという記述があります。

 

これらの記述から重要と思われるのは次の点です。

 

天照大神は大和から遠ざけられている

・最初、崇神天皇倭大国魂神尾張氏の血を引く渟名城入姫が祀ればよいと考えていた

倭大国魂神は渟名城入姫(渟名城稚姫命)によって祀られることをよしとしない。長尾市宿禰が祀るべきとしている

・結局大和を平らげたのは大物主神

 

ここから倭大国魂神の正体について考えてみたいと思います。

 

現在倭大国魂神が祀られているのは大和神社(おおやまとじんじゃ 奈良県天理市新泉町)で祭神は中央が日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)向かって右が、八千戈大神(やちほこのおおかみ)向かって左が御年大神(みとしのおおかみ)です。

 

そして、『日本書紀』の記述から元々は穴磯邑(あなしむら:奈良県桜井市穴師)の神であったと思われます。穴師といえば射楯兵主神社(いだてひょうずじんじゃ)です。

 

以前のブログに、火明命(徐福)と八千矛(大国主)の娘である高照姫(たかてるひめ)との間に産まれた五十猛(いそたけ)が丹波の地に移り、海部家の天香語山命(あめのかごやまのみこと)となり、息子の天村雲命(あめのむらくものみこと)は丹波の地から葛城地方の笛吹(ふえふき)に住み、その辺りは高尾張村とよばれたため、海部家は尾張家となったこと、天村雲命は穴師(あなし)に移住し(地名は金属精錬者が住んだことに由来)、その地に天村雲命は射楯兵主神社(いだてひょうずじんじゃ)を建て、父の天香語山命(五十猛(いそたけ))を祀った、五十猛は丹波に移る前は大年彦(おおとしひこ)と名のっていた(大年神社(島根県大田市大屋町鬼村))という出雲口伝を紹介しました。

(詳しくは以前のブログ【イソタケとホアカリと籠神社(このじんじゃ)】、【イソタケ(天香語山命)の息子天村雲命(あめのむらくものみこと)は初代天皇神武天皇)なのか】をご覧ください。)

 

出雲口伝からみると、大和神社の祭神である八千戈大神はまさに大国主であり、 御年大神は天香語山命五十猛命)であるため、日本大国魂大神は尾張氏祖神の火明命または、天村雲命ではないかと考えられます。出雲口伝では大和での最初の大王(神武的存在)は天村雲命ですので、天村雲命であれば尾張氏の神でもありますが、出雲の神の側面もあると思います。

 

この地には尾張氏が住んでいたため、尾張氏の神であるならば崇神天皇倭大国魂神尾張氏の血を引く渟名城入姫が祀ればよいと考えたのでしょう。しかし渟名城入姫ではだめで長尾市宿禰が祀ることになります。

 

私は長尾市宿禰は古くから大和にいる尾張氏の流れをくむ者であり、渟名城入姫は尾張氏の流れをくむ者ではあるが大和から出て行った尾張氏の子孫であったため倭大国魂大神は渟名城入姫を拒絶したのではないかと思います。

 

例えば、『勘注系図』によると天村雲命の異母弟に熊野高倉下(くまのたかくらじ)がいます。出雲口伝では高倉下の母は八千矛の息子アジスキタカヒコの娘の大屋姫。高倉下は大和から熊野に移ったようで、記紀では神武天皇の東征を助けています。

 

また、天村雲命の息子の天忍人命から始まるのが美濃、飛騨、尾張に移住した尾張氏で、尾張国造となりヤマトタケルの妃、宮簀媛(みやずひめ)は尾張氏です。尾張宿彌の後裔の宗族が熱田神宮宮司を代々務めることになります。東海の尾張氏はしばしば后妃を出し天皇家と濃いつながりを持っていくことになります。

 

もし、倭大国魂神尾張氏祖神の火明命であれば、渟名城入姫が祀っても問題はなかったと思われますが、そうでなかったということは倭大国魂神は大和の国を最初に造ったとされる天村雲命だったのではないでしょうか。崇神天皇が畏れるのも当然です。そして記紀ではあえてその名を隠し、倭大国魂神としていると思うのです。

 

大和から出て行った尾張氏天皇家の勢力側に付いた側であるため、元々大和にいた尾張氏崇神天皇に支配された、または反抗した側)とは異なることを『日本書紀』では強調したかったのではないでしょうか。

 

大物主神三輪山の信仰結びついた出雲系のさらに古い神であるため、最終的に大物主神のお告げ通りに事を進めることによって全ては解決したという流れなのでしょう。出雲口伝によれば大田田根子八咫烏ということですので、大物主神は大和での地位は強固なものとなったと思われます。(詳しくは以前のブログ【八咫烏(ヤタガラス)の正体とモノノベ勢のヤマト到着】をご覧ください。)

 

次はなぜ天照大神が伊勢に移されたのか、天照大神は元々どのような神だったのかについて考察したいと思います。