国生みの神である、イザナギとイザナミについては人による想像上の神であろうと思っていましたが、実は人間的存在だったかもしれないと、『日本の神々』(松前 健)を読んで思いました。
この本は1970年代に書かれ、2016年に文庫化されたので、出雲に関する記述については古さを感じますが、それ以外の記述は興味深く、気づかされるところが多かったです。
イザナギ、イザナミは神世七代で最後に出現した神で国土(島々)を生み、神々を産んでいきます。
この二神は『古事記』では淡路島→四国→隠岐→九州→壱岐→対馬→佐渡→大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま 大和国を中心とする畿内地方一帯)の順に生んでいきます。『日本書紀』ではいくつかの説が挙げられていますが、やはり淡路島を第一に産んでいる説が多いようです。
なぜ淡路島なのか・・・筆者はこのニ神がアマテラスの親神とされる位置に至る前は、淡路島を中心とする漁民集団「海人(あま)」たちの奉じる一地方神であったとしています。淡路の海人は彼らの島が日本列島の中の最初の存在であり、基盤であると信じていたのだろうということです。
四世紀から五世紀初めの応神、仁徳、履中天皇の時代、淡路に天皇直轄の屯倉(みやけ)や遊猟地があり、淡路島が天皇の台所の料を奉る国とされたこと、応神天皇以降急速に大和朝廷と淡路の海人との結びつきが強まっていくことにより、そのころから周辺の海人や近畿周辺に淡路の創造神の話が伝わっていったのだろうとしています。
女神が島々を産むというストーリーは南太平洋のポリネシア人の神話にみられるそうです。
二神の国生み神話は海人の活動、移住によって一般民衆に知られていって、民間的人気があったため後に大きな地位を与えられたのだろうということです。元々淡路島やその周りの島々を産む話であったと思われる物語が、宮廷神話となったことで、大規模な八島生みの物語に発展したというわけです。
また、海人の安曇氏(あずみし)を通じて淡路のイザナギ神話が宮廷に知られるようになったのだという推定もできるそうです。『日本書紀』に履中天皇の頃の安曇連浜子(あづみむらじはまこ)は、淡路の野島海人を部下としていた記述があり、安曇氏と淡路島とは古くから関係が深く、また奈良時代の淡路の豪族凡連(おおしのむらじ)は安曇氏の同族で海人の統轄者であったそうです。
元々この二神は古くは宮廷には祀られておらず、皇祖神の親神でもなかったそうで、淡路の大社でさえ、貞観元年(859年)に無品勲八等から最高位の一品に神の序列を進められたということです。
淡路の近くの阿波の国には元々の地主神であっただろう、ミヅハノメ、ミツハ、ミツマ、ミヌマ、ミルメなど呼ばれる古代の水の女神信仰があり、阿波の美馬郡はその中心であったようです。阿波国は古くから、穀霊、穀神信仰の中心であり、田畑の豊穣を祈るため、水の神を農耕の守り神として奉じていたところ、目と鼻の先の淡路からイザナミ崇拝が持ち込まれ、ミヅハノメやハニヤマヒメなどの社がイザナミに関係づけられたとしています。
よって『日本書紀』において、イザナミはハニヤマヒメやミズハノメを産む記述になったということです。
そして、南紀の熊野にイザナミの神陵とされる(花の窟神社 はなのいわやじんじゃ)があることについては、筆者は元々の熊野三神のムスビの神とイザナミが結びついたとしています。
元々の山の神である女神のムスビ(熊野牟須美大神)とその夫としてのハヤタマ(熊野速玉大神)、その間に産まれた樹木の霊のケツミコ(家津美御子大神)が熊野三神であり、繁殖、生成の母神としての山の神であるムスビと「熊野船」に乗って出漁する熊野海人が淡路から取り入れたイザナミが結びついたのであろうとしています。
そしてイザナミの陵が熊野と出雲地方にあるということについて、熊野は古くから他界信仰の中心で海の果ての霊の国への出発点とされていた、また出雲国も古くから他界信仰(黄泉の坂、黄泉の穴、夜見島)があったことから、『古事記』に伯耆と出雲の国境にある「比婆山」がイザナミの神陵であるとか、イザナギとイザナミの生死問答があった黄泉平坂(よもつひらさか)は出雲の伊賦夜坂(いふやさか)だというように書かれたのではないかとしています。
淡路島のイザナギ神宮の本殿は明治以降のものですが、それ以前は本殿地のところに、芝地と石積みがあり、これが禁足地となっていて神陵と呼ばれていたそうです。本殿の床下には神聖な石積みがあり、筆者は「幽宮(かくりのみや)」で石積みは墓地を表すのであろうとしています。つまり墓に埋葬されたと伝えられる存在であることから元々は人間的存在として考えられていたのかもしれず、いつのまにか「島の神」となり、「創造神」の役割をも兼ねるようになったのかもしれないということです。
記紀編纂時に各地方の言い伝えや神話を合体させたストーリーをつくるため、古来からの神々が別の神々に置きかわったりしたケースは多かったのではないか思われます。表に現れている神の後ろには何層にも重なった古代の神々がいるのかもしれません。明治期の神社の統廃合の時の状況に似ていますね。
今回特に、熊野三神については出雲口伝からみると元々はクナト大神、サイヒメ、サルタヒコの家族三神が後に熊野速玉大神、熊野牟須美大神、家津美御子大神となり、熊野夫須美大神はイザナミと重なった・・・というような変遷に見えました。
