出雲口伝から語りたい

出雲口伝をベースに古代日本の神々の系譜を掘り下げていこうと思っています。

【古代出雲族の信仰 ③出雲族の太陽信仰と三輪山】

出雲族の太陽信仰

 

出雲族はインドから太陽の信仰を持ってきたそうです。

毎朝朝日を家族全員で拝む習慣があったということです。

出雲王国北端の「越(こし)の八口(やぐち)」(新潟県)の朝日岳島根県松江市の朝日山(前出の神名火山)は遥拝地であると伝えられているとのことです。

 

山の頂上から見る日の出を「御来光」として今もあがめる日本人には、生命の源であり、豊穣を象徴とする太陽を蛇信仰と同じように古来から崇拝してきたのでしょう。

 

そしてヘビ信仰を持って行ったので太陽神とともに竜蛇神も祀ったということです。

 

出雲族三輪山

 

出雲口伝によれば、B.C.2世紀頃、出雲族の一部がヤマトに進出するのですが、その時ヤマトにサイノカミ信仰が持ち込まれたとのことです。

 

形の円い山は、妊娠した女性の腹を連想するため女神山と考えられ、三輪山は女神山となり朝日が昇ってくる山のため太陽の女神と考えられるようになったということです。

 

元々三輪山にはサイノカミの幸姫命が祀られ、幸姫命は太陽の女神と考えられるようになり、その後三輪山から伊勢神宮・内宮に移され太陽の女神・天照大神として祀られたそうです。

 

三輪山の初代祭主は事代主神(ことしろぬしのかみ)の姫君、タタラ五十鈴姫(たたらいすずひめ)であり、ヤマトの人々は次第にタタラ五十鈴姫を三輪山の女神であるかのように崇拝したとのことです。

 

三輪山にはサイノカミの幸姫命が祀られたので、山から流れる小川は「狭井川」(幸川)(さいがわ)であると口伝にありますが、実際、狭井神社には事代主神やタタラ五十鈴姫という出雲系の神々が祀られています。

 

古事記』に、狭井川のほとりに大物主神の子、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)の館が在り、神武天皇が彼女を訪ねてこの辺りへ来た時、山百合(佐韋、さい)が咲いていたので「佐韋河」と名付けたとあります。

 

古事記では「さい」は山百合とし、出雲口伝ではサイノカミの「サイ」としています。

 

ただ、比売多多良伊須気余理比売の母親は富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと)で出雲の神である事代主神の娘(出雲王家を表す「富」の字がついています。)であることや、古来よりこの地は「出雲屋敷」と呼ばれたことなどからサイノカミの「サイ」説も説得力があると思います。

 

出雲口伝によれば、三輪山には幸姫命、クナトノ大神、猿田彦大神のサイノカミ三神が祀られたので、それにちなんで三ツ鳥居(みつとりい)が拝殿の奥に建てられているとのことです。

 

出雲市長浜神社境内にもに三社鳥居がありますが、出雲口伝によればこちらもサイノカミ三神が祀られているということです。

 

長浜神社主祭神八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)で国引き神話で有名な神です。この方は出雲王家6代目の主王、臣津野(おみつぬ)にあたり、出雲国の領地を拡大した王となります。

 

三輪明神 大神神社のHPを見ますと、「大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居みつとりいと瑞垣が設けられています。三ツ鳥居みつとりいの起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉みとびらがあり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居みつとりいは本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。」

とあります。

 

三ツ鳥居の起源は不詳ということになっています。

三ツ鳥居と拝殿

大神神社HPより

 

長浜神社の三社鳥居は長浜神社のホームページに載っています。大神神社の三ツ鳥居にちなむそうです。

www.nagahamajinja.or.jp

 

 

これまで蛇神、山の神、太陽神の関連を考察してきました。出雲族の信仰は今でも日本人の信仰のベースになっているものであると感じます。